嬉野茶について

『ここに、茶栽培のルーツを見つけた。』

土、気候、水に恵まれた佐賀県の西部に位置する嬉野。
ここで嬉野茶は栽培されています。

嬉野茶について

位置

お茶どころ嬉野は佐賀県の西部、長崎県との県境に位置しており、周囲を800メートルから1,000メートルの比較的なだらかな山地に囲まれています。嬉野茶は高度300メートルから600メートルの山間部で栽培されています。

土壌

嬉野は肥沃な土壌に恵まれており、テアニン、カテキンの豊富なお茶が育成されています。

気候

冬は気温0-10℃、夏は23-30℃の比較的穏やかな気候に恵まれています。周囲を山地に囲まれている事から、日中と夜間の寒暖差があり、お茶の生育に適した環境です。

周囲の山からの水が嬉野川に注いでいます。自然豊かな嬉野で、豊富な水が温泉や、お茶栽培の灌漑用水となっています。

佐賀・嬉野の茶の歴史

栄西 1191年

中国からお茶の種を持ち帰り、背振山中腹の霊仙寺に蒔いたと言われており、これが日本における茶栽培の始まりです。

明の陶工 1440年

明の陶工が1440年頃、嬉野の不動山地区に移住し、陶磁器を生産しながら、自家用茶の栽培を始めました。

紅令民 1504年

紅令民は、嬉野に釜炒り茶用の釜を持ち込みました。この釜による茶の製法は、その後、「嬉野釜」と呼ばれ九州各地に広がりました。

吉村新兵衛 1651年

嬉野茶栽培の祖が吉村新兵衛です。1651年(江戸時代初期)に不動山で本格的にお茶栽培を始めました。国の天然記念物・嬉野「大茶樹」は樹齢350年と言われ、吉村新兵衛の功績をたたえる象徴です。

売茶翁高遊外 1735年

売茶翁高遊外は1675年(江戸時代)に佐賀県で生まれ、京都で禅宗の僧侶となりました。60歳の時に京都東山に通仙亭という茶亭を開きました。当時の文化人・風流人の間では、「通仙亭に招待されなければ一流人とはいえない」と言われたそうです。その後、鴨川土手で禅の布教を行いながら、茶を「お代はくれ放題、但し、タダより安くはならない」と言って売っていたという事です。

大浦慶 1853年

幕末の頃、長崎の油商人であった大浦慶は、嬉野茶の輸出で大きな利益を上げました。その利益を倒幕の志士に提供し、明治維新の到来を促進したといわれています。大浦慶が1853年に始めて輸出したお茶が嬉野茶でした。

グリ茶・嬉野茶のルーツ

嬉野茶は勾玉に似た、カールした形状が特徴で、玉緑茶と呼ばれます。新芽時期に約10日間日光を遮断して栽培した茶樹から、選りすぐりの新芽を摘んで、製茶して出来上がるのが玉緑茶です。